4月9日(木)
今度は小山さんが風邪を引いたようで、では糸数さんに手タレになってもらおう、と思っていると人身事故で大幅に遅れているということで、無人の店内を撮影する日になるのだろうか、と考えながら店におもむき、カメラを出して、そういえばなんで昨日、ある程度は使い方がわかる状態にしておかなかったのだろう、と思いながらカメラの使い方の把握に努め、パシャパシャと撮りながら、たしかに一枚一枚はきれいだが、映像になるイメージが湧かない、と思っていると糸数さんが来て、イメージは湧かないが1・4ミリの単焦点のレンズというのは、たしかにすごくぼやけて、これはすごくぼやける、ぼやけさえしたらなんでもいいと思っているふしがある、だからすごくぼやけていることに満足し、また、フィルターというものをつけてみたらぐっと変わって、え、これはすごい、と大きな声を出してアテンションを引き、糸数さんに見てもらった。 しかし、読書の映像というのは成立するのか、いざカメラを持ってみてもうまく想像できなかった。そういうときはやってみたらいいのに、なぜかためらったまま、室内をパシャパシャ撮ることで時間を浪費して、それからやっと糸数さんに声をかけて、参加を乞うた。本棚から本を取って渡し、これを読んでいてください、とお願いをした。そこにカメラを向けると、分厚い文庫本が机の上にあるのがモニターに映り、『幻のアフリカ』だった、それが開かれて、右ページは真っ白で、左ページから始まって、それはいかにも読書の始まりの時間という感じでときめく、お客さんのところに行ったときに目撃すると気分が上がる、行ってらっしゃいという気分になる、あれだ。それで、しかし、読書はスタティックだ、何も起こらない、これはやはり映像になんてならないのか、と思いながら、録画が続き、30秒ほどすると、糸数さんの左手がかすかに動いて、それから指がページの間に滑り込み、ページが持ち上がり、だから紙が盛り上がり、だから光る位置が変わり、だからフォーカスされる位置が変わり、そして、オー、ヤー、あの小さな(リトル)―ああ―来るぞ、来る来る、あのかわいい(リトル)―AHH― ページめくり! という感じでけっこう、それは心の動く光景で、うわあ、と声が出た。ページをめくるというのは、こんなふうだったのか、という感動。なんて素敵な運動なんだろう、という感動。鳥肌が立った。これはもう、完全に行ける、と確信が生まれた。 最初は横で撮ったが、リールとかなら縦だろうかというところでそれから縦にして、撮って、次はコーヒーを横に添えることにして、まずコーヒーの抽出の様子もついでに撮ってみて、キッチンを撮るのは難しい、どこまでが映っていいものというかみっともなくないものなのかを考える必要がある。それでコーヒーができると今度は僕が撮られることにして『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』を取って、開いてみると「トランプタワー」という言葉が見えて面々がトランプタワーの前を通っていた、人々が中指を立てながら写真を撮る光景が描かれていた。それで、さっきは分厚い文庫本だったが今度はあまりしならない紙のソフトカバーで、それだけで本の持ち方も、めくり方も変わるものだった。それから『富士日記』にして通常の文庫本だと左手が書見台のようになるというか真ん中の指3本が本の後ろに隠れて後ろ側から支えて親指と小指が表に出てきてページを抑える。開くときには右手が使われて手が右からにょっと現れてページをつまんでめくる。ずっと同じ席で撮っていることに気づいて今度はソファに移り、『ボヴァリー夫人』を渡して読んでもらい、横から撮ってみたり後ろから撮ってみたりし、光が踊る、影が踊る、本を読むというのはこんなにも光の動く行為だったのだとまた感動し、次に『フローズン・フィルム・フレームズ』にして写真がある本はまた違う感じだった。やはり、ページをめくる瞬間は何度見ても感動するもので、そのたびに、サッカーでゴールが決まったときのような、そういう喜びがあった。
開店時間になるところで終えて、荷物をまとめ、保存されたファイルをパソコンに移し、少し見、編集するのが楽しみだった。荷物を置いて蕎麦を食べに蕎麦屋に行くとだいぶ混んでいて混み合った脱衣所みたいな見え方だった、曖昧な姿勢で立っている人がたくさんいる。踵を返して店に戻り、荷物を取ると今日も四谷三丁目に向かった。カメラを返すと今日も下北沢に向かって、下北沢に着くと箱そばでミニかき揚げ丼セットを食べて、久しぶりに「箱そば」と言ってみると、そうか、僕はずっとそう言ってきたが、「根」しか略されていなかったのか、そうだ、「根」しか略されていなかったんだ、という考えがやってきて、おいしかった。 ボーナストラックに行くとギャラリーのところにちょうど獅子田さんの姿があったのでお礼を言ってカメラを返し、撮ったものを得意げに見せて感心してもらい、ボーナストラックも機材のレンタルをやったらどうか、そうしたらすぐにペイできて新しい機材も買えていいんじゃないか、と唆した。そうしたら、撮影のたびに四谷三丁目に行かなくて済むのでありがたい。「たび」と言っても、そう頻繁にあるわけでもないだろうが、少なくとももう一度はあるだろう。夜も撮りたいし、下北沢も撮りたいし。 店に寄って三脚とかを返し、瀬崎くんに撮ったやつを見せて、すごくきれいでしょう、と言い、すごくきれいだ、と言ってもらった。
昨日今日の移動で僕は疲れて移動は疲れる。帰宅し、夕方はひとつミーティングで、比較にしか意味がないということ、約束にないお土産を渡すことの是非、集客の二の矢と三の矢のことを話し、1月からぐぐっと弓を引き絞って4月に矢をばっと放って、ここからさらに何を、というのは考え続けなければいけないことだった。終わることなんてないんだ、終わってしまうことはあったとしても、と私は考え、終わってしまわないためには決して終わってはいけないだ、と私は考えて、それから熱心に仕事をし、夜になるとバイクを漕いでリーズとウェストハムの試合の続きを見、それからゆっくりお風呂。 Readsでもページ数割のお知らせをするべくポップアップ画像を作成し、データベースに挿入し、それからLINE公式アカウントの効果測定のためにシートを用意し、API連携ができるようにし、その流れでもないがReadsの数字の集計シートも作成してBIGQUERYで取れる分だけの記録をスプレッドシートに取り込んだ。リリースから1年、着実に成長していることがよくわかる。 遊ちゃんは今日は桜木さんのおうちに遊びに行ってきて帰ってきて、僕は夕飯をつくることにして遊ちゃんにつくり方を教わって大根と豚肉の塩煮をつくり、味噌汁はキャベツと長ネギを少し炒めてから煮るつくり方でつくり、それからウドのきんぴら、キムチ、それでご飯でいい定食だった。大根と豚肉のやつは遊ちゃんがつくったやつのほうがおいしかったが、それでもおいしかった。たっぷりつくったのでまだある。明日は味がしみてもっとおいしくなる予定。
2時くらいで眠くなっておしまいにして布団で、昨日は寝落ちをしたみたいで栞が変なところに挟まっている、どこまで読んだのかを探して、火事のところは読んだ、しかしこれは火事が起きたのはいつで、なんなんだっけ、と思って、少し遡ったりして、しかし把握はできず、クェンティン時代の話なんだっけ、それとも過去のことなんだっけ、というそういうレベルでよくわからないまま、なんだっけ、そしてどこまで読んだっけ、わかってないなら読んだ読まない関係なくわかるところまで遡ったらいいんじゃないか、この小説は本当に遡りにくいというかどのあたりで何が起きてというのが、全然わからない、斜体だらけのところはなおのことだ、目が大変だ、体も傾けなければいけない、そういうことを考えるでもなく考えているうちに眠気がやってきたので寝ることになり、だから何も進まないで寝た。