2月5日(木)

まんぺーくんと1時間の予定が2時間話し、続けて小山さんと、1時間の予定が3時間話し、ミーティングの時間管理が下手にもほどがある。なので終えたら3時で、うどんを食べた。気を配ることに限界を迎えた感じがあって、全部は見られない、というところに当たったらしく、見てくれる人というか気にしてくれる人を各所に置きたい気分。

疲れた。しゃべり過ぎたか。昼寝した。

うっすら起きて、頭にタオルケットをかぶるというか、突っ張るようにして、お化けみたいな状態で、この突っ張る状態は心地がいい、好きなやつだ、それをしていると遊ちゃんが帰ってきて、寝室に僕の姿を認めると戸を閉めた。僕としては、この変な格好を、笑って、かまってもらいたかった。 まだどんよりと眠かったが起き上がって外に出ると、今日は気圧がやばい日だ、と遊ちゃんが教えてくれたので、今日の低調は気圧のせいということにした。 気圧がやばいので起きてもなかなか仕事モードになれず、とりあえず遊ちゃんとスーパーに行き、豚バラと長ネギとかを買った。そして風呂に入った。風呂に入っていると、今日も夜は豚肉と長ネギのやつをつくろうと思っていたが、白菜を入れてもおいしいと思い、白菜を買いに行くことに決めた。なので風呂から上がると服を着て再びスーパーに行き、遊ちゃんが体調を崩しつつあるらしく、リクエストがオイコスのヨーグルトだったので、オイコスと白菜を買った。前を若い女性が歩いていて、夜道を後ろを歩きたくない、早く追い越そうと思いうまいこと追い越してから、しかしたとえ追い越さなくても、仮に振り返ってもらえたら、男の手の上に白菜が見えたはずだ、白菜を持って歩いている人は安全だろう、とは思ってもらえただろうか、と私は考えた。

帰るとやっと仕事を始める感じになり、アイスコーヒーを淹れ、スピーカーの電源を入れて音楽を選び、チャールズ・ミンガスの『Mingus Ah Um』にして、一曲目は「Better Git It In Your Soul」とあった。Git、と思ってから仕事を始め、もう夜だ、今日じゃなければいけないものを洗い出し、それをやっていき、最後は新しいバージョンの提出だった。iOSは慣れたものだがAndroidは不確かで、そこが不安だった。iOSのアーカイブまでやり、そこでご飯にしてキッチンに行くと豚肉白菜長ネギしめじを牛丼みたいに煮たやつ、ピーラーでぴらぴらにした人参の花椒炒め、小松菜と玉ねぎの味噌汁をこしらえ、コンロを3つ同時に使うのはあまりないことなので、よかった。シティとトッテナムの試合の残りを見ながらで、後半のスパーズはエネルギッシュさが違った。特にシャビ・シモンズがすごくよかった。ソランキがマジカルなゴールを決めた。白菜はやっぱりおいしく、そしてぺらぺら人参もおいしかった。ぺらぺら人参炒めは遊ちゃんがたまにつくっているやり方で、真似てみたが、いいものだった。

食べ終えると部屋に戻ってiOSのリリースをし、それからAndroidに移り、Androidはそのたびにわからないので、マニュアルのドキュメントをプロジェクト内にも置くことにした、そうしたらソルちゃんが読める、それでソルちゃんの言いなりになればいい状態をつくる、という目算で、そうして、デバッグビルドというのか、ビルドし、すると前に一度つないだときに出たように16KBの警告が出る、この16KB対応というのははんぞーがやってくれていることで、ビルドキャッシュとかそういうことなのではないかということだったが、クリーンにしたつもりでも出て、でも動くなら進めはするということなので、リリースビルドをつくるというのか、aabファイルとかそういうのをつくり、ストアに置いて、テストリリースし、それは問題なく動き、製品版のリリースに進んだら警告ではなくエラーが出て、16KB未対応とあった。2時半だ、はんぞーに連絡だけして、今日は諦めた、布団に入ると「あたし、『神様』のことはいつも男としてしか考えなかったわ」とルービーが話し、ホレスは法廷へと続く広場を横切っていった。法廷の中にはたくさんの人。

その空気には煙草や酸い汗や大地のにおいとともに、まさしく法廷そのもののにおいも混ざっていた―あの黴くさいにおいだ。ここで消耗された欲望や貪欲さ、敵意や口惜しさなどの混合したものでありながら、それ以上ましなものがないために、一種の頑とした安定感も含んでいるにおいだ。 フォークナー『サンクチュアリ』(加島祥造訳、新潮社)p.370

それ以上ましなものがないために、一種の頑とした安定感も含んでいるにおい。フォークナーは凄い。そして、そうか、というふうに小説が終わって、解説を読むと、あ、そういうことが起こっていたんだ、と知る感じがあった。フォークナーは「自分が想像しうる限りの最も恐ろしい物語」と語ったそうだ、当初は「私としてはこれは安っぽい思いつきの本だ」とも言った、しかし改稿をして恥ずかしくないものに仕立てたそうだ。この手つきはそれにしてもどういうことだったんだろうというか、どうしてここまで内面に踏み込まない語り方を選んだのだろう、テンプルだけではなく、動く人形を描くみたいな描き方で、凄惨な出来事を描く描き方として、これが適切な距離の取り方という判断だったのだろうか。この手つきこそがもっとも恐ろしいもののように思った。 改めて背表紙のあらすじを、今度は安心した状態で見ると、そこには「女子大学生殺人事件」なんていう言葉はなかった、代わりに「女子大生」という言葉と、「殺人事件」という言葉がちょうどぴったり上下に並んでいて、それでまとめて女子大生殺人事件には見える、というものだった。

2月6日(金) ↓