2月27日(金)
午前中、ひとつミーティングをするとそのまま佐々木さんと1on1だったが、そのあとのことを考えると出たほうがいいことがわかり、歩きながら話して、歩きながら話すというのもいいものだった。早く駅に着いたので、座れるところに座って話を続けた。調布の駅前の人流の具合というのは、いつもちょうどよくてちょうどいい。
御茶ノ水に行き、駅舎がきれいになっていて、知らなかった。駅前に出ると本間くんが来て、手にはビニール袋があり、おにぎりを取り出して食べた、おにぎりをひとつ食べ終えると次はパンが出てきて、おにぎりの次はパンなのか、と驚いた。ソーセージが挟まったパンで、本間くんはソーセージを食べたくなったらしく、ソーセージが具になったようなおにぎりもありそうなものだがと言うと、最初はそれを探したが、なかったので、パンにした、ということだった。おにぎりの価格を聞くと110円とかで、ネットで知る世界と現実は異なるものだ、と私は考えた。最近ネットでコンビニのおにぎりが高くなったという声を何度か見ていて、ベーシックなやつでも180円くらいになっているのかと思っていた。 打ち合わせはいい時間で、会議室のモニターの横に置かれたタブレットが、会議室予約終了まであと10分です、みたいなことを大きな声で教えてくれて、びっくりしたが、便利なものだった。これがあると、話をまとめましょう、という感じになりそうでいいものだ。そのあとオフィスを少し案内していただき、瀟洒だった、苺をいただいた。 辞し、ドトールを探して聖橋からお茶の水橋まで歩いたが見当たらず、200メートルとか300メートルとかで不在に違和感を覚えるというのはすごいものだ。横断歩道を渡ってもう少し向こうに行くとエクセルシオールがあって、懐かしさがあった、アテネフランセに行くときとかに入ることが何度かあった気がする、中は改装されていて、広々としていた、そこで本間くんと1時間話して、なんだかいろいろと、いい予感がする。
今日はまだご飯を食べていなくて、どうしようか迷いながら、神保町まで歩いて、気づいたら電車に乗っていた。初台に移り、駅前のそば屋さんでミニヒレカツ丼セットを食べてドトール。6時になると店に行き、今日は夜は貸切で、ひとりだと大変かなと思って来たが、全然そんなことはなかったので貸切で人々が本を読んでいる中、僕も基本的には本を読んで過ごすことにして『アブサロム、アブサロム!』を開くと「どこの社会にも見られる、自分たちに理解できないことにはなんでも反対しようという傾向」とあって、昔の小説を読んでいると、人間は変わらないものだ、ということが知れていい。それから、サトペンの警戒心が説明されて、サトペンの警戒心というのは「事件を偶発性に照らし、情況を人間性に照らして、自分の誤りやすい判断と不死身ではない肉体を人間の力ばかりか自然の力にも照らして判断しながら、取捨選択し、ちょうど馬を連れて野原や森を越えて行く時、実際は自分にはその馬を制御する力はなく、馬の方が強いということを馬にさとらせない能力だけを頼りにして乗っている馬と妥協しなければならないように、自分の夢や野望と妥協したりもする、あの警戒心」だそうで、「だったのさ。」とコンプソンさんは息子に語りかけていて、クェンティンは、それを聞いて、何を思うのだろう、と私は考え、そうか、と受け取るのだろうか、と私は考え、一方でミス・ローザは叔母さんによって教育を施されていて叔母さんは姉のエレンの見方をミス・ローザに教え込んでいて、「単に家庭と家からだけでなくこの世からも姿を消して青髭の家のような建物の中に入って行き、その家で一つの仮面に姿を変えて、ふたたび戻りようのないこの世の中をうらめしげに悲しげに振り返っている一人の女」として、また、「自分の生まれる前に竜巻のような唐突さで自分の一家の生活の中に飛び込んで来て、取り返しのつかない測り知れない損害を与えて出て行った男のために、監禁状態ではなくて、じらすような半殺しの状態でそこに引きとめられている」女として見るように教え込んでいて、それから、寝ても醒めてもギリシャ悲劇の仮面以外のものは見ないようにとも教え込んでいて、可笑しかった。叔母さんは出奔した。無責任な人だ。 じっくりじわじわとページをめくり、布団で読むよりもずっと集中できる感じがあって、これがフヅクエかあ! と思った。そのあとビールを飲んだ。帰り道に「考えすぎフラグメンツ」を聴くと文化と倫理の話がされていて、フヅクエはバリューを設定したが、すっかり形骸化してしまった、やはり大事だ、どうやったら定着するのだろうか、なんでも形骸化してしまう、と思いながら歩き、コンビニでおにぎりを買ったが値段は認識しそこねた。