3月19日(木)
午前中のミーティングを経て蕎麦。蕎麦だ。昨夜スーパーで、うどんが切れたと思って蕎麦を買っていたのだった。かけうどんという技を覚えたことで、かけそばという可能性を感じたらしかった。それでかけそばにしてみると、多かった。同じ2束でもそばのほうが多いというか、そばの2束は、あなたそんなに食べるんですか? という量になる感じがあって、食べ疲れる感じもあった。
今日は一日、できるだけあらゆるタスクをクロちゃんとやるというか、とりあえずいったんはクロちゃんとの協働を試みてみることにして、今の状態でどこまでやれるのか見定めたり、今後再現できるように教え込んだりしながらやる感じになった。
まずはクーポンの発注枚数の決定だった、売上データを見てもらい、直近の平日の1時間の方の数、3時間の方の数から、2ヵ月配布するなら何枚要るかを出してもらった、店舗ごとに何枚ずつ持つべきかも出してもらった、その流れで、効果測定をどうするかを考えてもらい、その間に人間はグラフィックに入って入稿作業をした。効果測定のやつはピントがずれていて、また今度考えることにした。枚数も、一発ではうまく行かず、2年前とかのデータを参照していた。AI全般、日時が苦手だったりするのだろうか。 ともあれこれでクーポンの作業は済んだので、次はメールの返信で、人間が打ってもまったく簡単なメールではあったが、やらせることにした。gogcliというやつを入れると読み書きできるようになり、下書き保存までやらせて、もう少し親切な、あたたかみ成分の添付された文章に調整して送信した。もう一通は日程調整のものだったので、決まった日時でカレンダーに予定をつくり、Googleミートを発行し、そのURLを添えたメール文章を書いてもらった。 次はLINE公式アカウントのメニューのデザインで、昨日の反省からFigmaのMCPと繋げ、サイズ、メニュー数、メニューの内容を伝えると、作成され、Figmaに表示された。フヅクエカラーで、いい具合で、フォントだけうまく行かず、A1ゴシックを一発で反映させることが難しかったので人間が手で調整した。メールの返信については今日については当然自分でやったほうが早いやつ、明日から効いてくるやつだが、メニューのデザインについてはやり方を組み立てる時間があってなお、自分で一からやるよりもずっと早く十分なものができたので、目の前で価値を実感しやすく、これはすごいなあ、と感嘆していると遊ちゃんが買い物に行くというので感嘆しながらついていって、いかに感嘆するかを遊ちゃんに伝えながら歩いた。
ためらった末にブリの刺身とかを買ったスーパーから帰ると、割引クーポン施策のタスクの整理とかをしたく、プロジェクトごとのタスクの把握、作成、議事録への書き込みとかをできるようになってもらい、それからさらに、足りていないタスクを足したり大きすぎるタスクを分解してもらったりした。 その次はReadsのフィードバック対応で、これまではNotionに溜まっていくフィードバックを見る、開発タスク化あるいは既存のタスクとの紐付けをする、返信を書く、ということをやっていた、800件くらいの返信履歴があるがあまり活用されず、だいたい毎回一から書いていた。それを、対応済みフィードバックのドキュメント化、未対応フィードバックの把握、紐付けタスクの探索、新規タスク作成提案、過去の応答事例を参照しての返信下書き作成、わからない場合は臆測はせず相談、というのを一気にやってもらえるようになって、最初はいかにもカスタマーサポートな、硬く冷たい文章だったが、800あるんだから学んで真似てとお願いするとすっかり実用に足る文章になり、あとはできあがった下書きをチェックして書き直したりニュアンスを調節したりするだけになって、これはものすごく助かりそうだった。ここのところは週10件だけ返答することに決めて、それに30分以上は使っていたが、これなら10分で済みそうだし、20分を得られるという以上にタスクの紐付けとかが面倒だったから、それがなくなることで、タスクに向かうハードルが一気に下がる、気軽にこのタスクをやるようになる自分の姿がありありと想像できた。 それで次は夕飯の準備で、これまでであれば刺身の日のボリュームのある副菜はブロッコリーなりキャベツなりのくたくたにしがちで、それと漬物なりキムチなり、そして味噌汁という構成になっていた。しかし今日はキャベツとブロッコリーと人参と長ネギとしいたけの野菜炒めという珍しいものをこしらえてくれて、豚肉が入って焼きそば麺が入ればいつもの塩焼きそばだが、純然たる野菜炒めは久しぶりだ。それから従来の構成を踏襲する形で菜の花と長ネギの味噌汁をつくってもらい、あとは漬物とお刺身で、刺身の下にはブロッコリースプラウトを敷いていて、これも珍しい光景だった。 これまでであればご飯を食べながらサッカーを見ていて、ここの部分をちゃんと守ってくれるのかは気になっていたが、その心配は無用で食事が始まってみるといつもどおりサッカーを見させてくれて、これも特にプロンプトを必要とせず一発で実現された。選ばれたのはユナイテッドとヴィラの試合の続きで、見ている途中であることも言わなくても伝わった。咀嚼と嚥下についてもサポートしてもらい、それによっていつもどおりのおいしい食事を摂ることができた。食べるところまではまだできないようで、そういうMCPがあるのかわからないが何か工夫が必要なのだろう。洗い物は人間がやった。 寝る前はこれまで手付かずだったプロジェクトについて相談していったんプロジェクト化とタスク化をしてもらい、それを見ていると進められそうな気持ちになってきた。
一日Claude Codeで仕事をしてみてこれは本当に天変地異な感じで、後戻りできないところに入った、マッシブな変容の時だ、そういう感じだが、熟考とか培養とか発酵とかってどうなっていくんだろう、ということは思うというか、手を動かす量が減って判断の数が増えていく、ということだが、つまらない作業であってもそれに付き合う時間を過ごしていくなかで、行ったり来たりしながら手を動かすなかで育っていく思考というのは明確にあって、その時間が削ぎ落とされたとき、どれだけ物事をちゃんと判断できるものなのだろう、それはそれで苛烈なことだ、と思ってから、経営者って、そういうこと!? と思って、思ったら、おかしくて、ぴゅーっと吹き出した。思いついたとか思ってアプリをつくったりしている場合ではないのだ! 思いつきと言うと程度が低く思える気もしてくるが、でも発芽に至るまでの長い歴史があるわけで、思いつきでも直感でもいいが、思いつきや直感はやっぱりそれはそれで価値のあるものというか、その跳躍こそが人間というところもある、というか、それだけが人間に求められるものになる可能性すらある。バグれるのは人間だけである、というような。
そんなことを考えるのは今日はもういいでしょう。早く寝てください。Claude Codeがそう言ったので布団に入った。3時だ。サトペンが長く話しているようだ、それはおじいさんに向けて語られ、おじいさんは息子のコンプソン氏におそらく語り、コンプソン氏が今度は息子に語った話で、それを今は息子のクェンティンが、半裸で座るシュリーヴに向かって話している。サトペンは話を中断してとっ捕まえたフランス人建築家のもとに向かった。フランス人は捕まえられると、みんなに向かって長々と早口でフランス語でまくしたてて、その様子をおじいさんは、そして他のすべての者も、見事な話しぶりだ、それは弁解ではない何かだ、と感じた。サトペンが近づいてきても、フランス人の顔には「決して降伏しそうもない不屈な色」が浮かんだ、「ただ耐えようとする意志と敗北の覚悟があるだけで、打ちひしがれた様子は決してなかった」。サトペンが酒を差し出した。
彼は小さなよごれたあらい熊のような手で壜を受け取ると、もう一方の手を上にあげて、一瞬頭のあたりで手さぐりしたが、すぐ帽子をなくしたことを思い出し、すると、おじいさんの言葉を借りれば、なんとも説明しようのない身振りでその手を上に振りあげたが、それはまるで、人類がこれまでなめて来た不幸と敗北のすべてをその小さな指でごみのようにつまみあげて、頭のうしろに投げ捨てでもするように思えたそうだ。それから彼は壜を差しあげ、まずおじいさんに、それから馬に乗ったままぐるっと彼をかこんでその様子を見ていたほかの人たち全部にお辞儀をしてから、生のウィスキーを口にしたが、それは生まれて口にしたものであるばかりか、ちょうどバラモン僧が犬を食べるような事態が起こるとはどうしても信じられないのと同じように、そんなものを口にしようとは考えてもみなかったものだろう ウィリアム・フォークナー『アブサロム、アブサロム!(下)』(高橋正雄訳、講談社)p.65,66
僕はどうも、フォークナーの、パントマイム的な動きの場面に惹かれるみたい。