3月22日(日)
なんとなくずっと、夢を見ているのか、自動化について考えているのかわからないような睡眠のまま朝を迎えて、父によって雨戸が開けられると部屋が明るくなった。布団の中に頭を入れてスマホを開いていると、呼気で画面が湿っていく。ドタドタと足音がして甥っ子が入ってきたので、布団の中から、ぴゅっ、と手を出して驚かせた。
起き上がって居間に行くと子どもたちは今日も元気に遊んでいて、甥っ子はティラノサウルスを途中までつくったみたいで、だいぶ形になっていた。父がみんなの分のコーヒーを淹れてくれた。おいしかった。そのあと甥っ子のティラノサウルスの完成を手伝って、ああかな、こうかな、と試行錯誤しながら、固くて入らないところはきちんと人の助けを乞いながら、完成まで持っていく様を横で見た。 姪っ子は帰る間際まで、ジップロックに水を入れてそれを紙で挟むか何かしてつくる何かをつくっていて、水の中にクレヨンしんちゃんのシールが見えて、しんちゃんが水の中にいるようで、溺れないか心配な気持ちになった。最後まで賑やかにドタバタしながら一家は帰っていって、そうすると、さて私たちはどうしよう、と残された者たちは言った。白河に行くことになった。
白河ラーメンは以前からぜひ行きたい、ぜひ連れていきたい、という場所だったので今日が白河ラーメンの日になって、いくつかの候補があるなかで、行き先は手打中華すずきという店になり、鈴木の名のつくラーメン屋はもうひとつあるらしく、カーナビはそちらを最初は出した、電話番号を入れて正しい鈴木に設定した、そして車は走り出して、まもなく知らない道に入っていった。 あたたかい日でエアコンを入れていないのに車中はぽかぽかとしていて眠くなる。四号線に乗ると遠回りということらしく、多分より鄙びた道を車は進んでいて、間隔をあけながら民家があって、その後ろは山の斜面で、はっきりとした境界を持たずに墓石が思いつきのような場所に置かれている、そういう墓地がいくつもあって、そことは別に、斜面の始まりのところに小さな鳥居があるのも何度か見かけた。松尾芭蕉の話が遊行柳というところで出たことも手伝って、舗装されない、それがなければ山にしか見えないそういう中に昔の人は道を見出して、鳥居をくぐり、向こうに上がっていったのだろうか、と考え、山道を抜けてツルハドラッグの登場を境に街に入り、見事なロードサイドが展開された。 次第にラーメン屋が増えてきて、少し行くと目的地に着いたようで車は減速し、駐車場に入った。何組か待っていて、最初は外で待って、風が冷たくなってきたところで中でも待てることが知れ、中で待った。外とも客席フロアともガラスで隔てられた待ち合いのための空間で、前室とでもいうのだろうか、待合室でいいか、座るところもあった。3人はガラスの向こうに見える壁のメニュー札を見ながらどれにしようか検討していて、僕は角度が悪くて札は見えなかった。人々の前に順番にどんぶりが置かれていって、どんぶりの種類はいくつかあった。だんだん、あれがワンタン麺のどんぶりで、あれが手打中華大盛りのどんぶりだとわかるようになっていった。ラーメンというのはそういうものなのか、これがロットというものなのか、出るときは4杯5杯続けて出て、それからしばらく空いて、またそういう数が出る、というのを繰り返していて、30分くらい待って座敷に通され、父は座敷よりもテーブルを望んでいたが座敷で、父が座敷よりテーブルを望んでいたのは座敷だとお腹がいっぱいになったときに苦しくなるからということだった。 それで僕と父は手打中華の大盛りを、遊ちゃんは普通盛りを、母はワンタン麺を頼み、すぐ横の壁には暗い大きな鏡が張られていて、いくつかの会社のクレジットがあって、贈呈したとかなのだろうか。待ちながら、座席の数を数えて、現在の稼働率を考えて、客単価を考えて、回転にかかる時間を考えて、そうすると昼間の営業の数時間でできる売上は、と考えて、でも、そこで止まって、どう進めるべき思考なのかわからなくて、パッと、何かをそこから考えられるようになりたいような気がした。
白河ラーメンはすこぶるおいしかった。朝を食べていないし空腹だったから大盛りで妥当だと思っていたが、大盛りはしっかり大盛りで、お腹がいっぱいになると苦しくなった。ぽんぽこりんだ、と思いながら辞し、帰りはグッドニュースに寄ってもらうことにして、今度は車は四号線を走った。 これで寄って、帰ったら、4時半とか5時とかだろう。昼飯を食べ、コーヒーを飲んだら夕方になる、一日が終わろうとする、というのは、なんだかすごいものだった。 グッドニュースはテナントの顔ぶれがいくつか変わっていて、僕と遊ちゃんは興味津々で、マップを見ながら、ふむ、ふむ、と言った。オニバスでコーヒーを買って、前よりも森の中を進んでいけるようになっていた、エリアが向こうに広がっていたので歩いて、それからブランコを漕いで、ぐっとのけぞって上を見ると、高い木と木に渡されたブランコで、だから頭上はその幹とたかーいところに枝葉で、わさわさと緑にそよいでいて、その向こうは空で真っ白に明るかった。父と母はブラウンチーズブラザーというクッキーを買っていた。試食をもらって、試食をもらったら、なんだか買わないとという気になるよな、みたいなことを父が言っていて、試食を提供した甲斐があるというものだ。 帰路について、テナントは、入れ替わりで入ったのは山のチャウスとか、バターのサンドとかのようで、そうすると大半が直営店ということだろうか、というテナント構成で、これはグッドニュースにとってグッドなニュースなのかバッドなニュースなのか、どういうものなんだろうねと話しながら、知った道を車は走っていて、夕方になっても車内はぽかぽかしていて、ときどき遊ちゃんがうつらうつらとしていた、僕は眠くなかったが、あと5分くらいで着くあたりから急激に眠くなった。
帰ると遊ちゃんのパソコンにClaude Codeを入れることを手伝って、デスクトップアプリでもとも思ったが、やっぱりファイルのそばというか、何があり、何が書かれているのかがはっきりわかる状態のほうがイメージもしやすいし付き合いやすいんじゃないかと思ってVSCodeを入れた、準備ができると遊ちゃんはまず、自分のことは「ゆうちゃん」と呼んでほしいということ、自分はあなたを「クロコちゃん」と呼ぶこと、タメ口で行こうということ、それを伝えていた。 ぼやぼやと仕事をしていると夕飯の時間になって、ご飯を仏壇のところに持っていき、線香を上げてりんを鳴らして手を合わせた。今日はありあわせのもので、みたいなことを言っていたが、今日も食卓にはたくさんのお皿が並んでいた。サバの塩焼きがやたらおいしかった。今日もビールのあとは日本酒をいただいた。 食後は父の最近の絵を見る時間で、冬の川の水の色がとてもよかったし、真夏の公園の明るい日差しが強烈に明るく、水の張られた田んぼが見事に水だった。実際そこになんの色があるのか、絵を描いているとそういう目を獲得できるのだろう、それは、羨ましいことのように感じた。父がジャズのレコードを掛けて、エリック・ドルフィーとブッカー・リトルの『Memorial Album』が流されて、すこぶるかっこよかったのでAppleMusicで検索した。
夜になると今日も僕はぐんぐん元気になっていく感じがあって、クロちゃんとともに仕事を進めて、クロちゃんの教育も進めた。最後に風呂に入り、昔は人の入ったあとの風呂は苦手だったし、自分が入ったあとの風呂を引き渡すのも苦手だった。他者の残滓みたいなものを感じること、感じさせることが、けっこうな踏み越えに見えたというか、見ちゃいけないものを見る感覚、見てほしくないものが見られる感覚があった。そういうのも、なくなっていくものだ、と浸かりながら考えて、デバイスを持ち込まない風呂は暇だった。 風呂から上がって引き続きぽちぽちと仕事をしていくとDiscordに今日の伝票が集まってきて、今日は初台も下北沢もダメ日曜日だったみたいで、そうか、と思った。金曜日が微妙休日で、強い不安を覚えていた、やはり料金の仕組みが変わって離れる人が出ているんじゃないか、前はこんなにダメ休日の頻度は高くなかったのではないか、そういう不安を、不確かさはいつもそれを連れてくるものだ、不安を強く感じる日で、しかし昨日が、初台も下北沢もとてもよくて、それでその不安は一瞬で消えていたというかころっと反転して、安心だ、となっていたが、今日は金曜よりも見事にダメ休日で、また不安がお腹にぐっと来るのを感じて、不安がっていないでまずは数字を見なさいだ、そう思って均された数字を見たら、1月17日の仕組みの変更からだから9週間だ、その9週間の数字は、それ以前の3ヶ月の数字とほぼ変わらないもので、だからその数字が語ることだけを見れば、問題は起きていない、ということだった。あまりうまく信じられない気持ちもあったが、そう言うんならばそうなんでしょう、と思うと少し和らいだ。
今日も結局2時半くらいまでいろいろやり、つくづく夜になればなるほど元気になる人間だ。布団に入ってフォークナーを開き、ライトを点けたスマホをいい感じに立てて読むのはやはり読みづらくて、ページをめくるたびに、倒さないようにとか、明かりをいい感じに受けられるようにとか、微細な調整を強いられ、読んでいる目も滑りやすくなる感じがあった。なんにも頭に残らなかった。