4月6日(月)
今週は時間が埋まっている感じがあって、気をつけて仕事をしないと破綻しそうだ、Claude Codeの改善、みたいなことは今週はやってはいけない、CLAUDE.mdとかに「今週は時間が埋まっている感じがあって、気をつけて仕事をしないと破綻しそうだ、Claude Codeの改善、みたいなことは今週はやってはいけない」と書いておいたらいいかもしれない、「そういうのが来たら断る、月火はシフトで火曜の晩は調停の準備で水曜は調停で水曜は調停後も四谷と下北沢に機材を借りにいくとかで移動が重なって木曜は撮影でこれもそのあと返却行脚があって、きっとそもそも持ち時間の少ない週ですけど本当に今これをやりますか? と尋ねる」と書いておいたほうがいいかもしれない。 店行き、アイスコーヒーを淹れてブリーフィングを走らせて、助かっているがちょっとやり方を考えるべきかもしれない。これはやれるでしょ、ということが意外に進められず、これは背景情報持ってないんだから書けないでしょ、というメールの杜撰な下書きがつくられる。でもこれは明らかに僕が悪いというか、彼に与えられているのは要は「とりあえず今日の仕事一覧見て、整理して、やれそうなことは進められるところまで進めておいて」という指示だ、本当はもっとちゃんとしているが、やれるやれないの判断の指示は弱いはずだ、やれる根拠となるスキルを明示とかはしているが、「メールの下書き書けるので、書きました!」となっちゃう。最初は対話式にして「これはこういうものかと思うがどうしましょう」と訊かれて答えてを繰り返し、ひとつひとつの仕事について伝えていく、それをメモしてもらう、そこから始めるべきようにも思う。いや、今のやり方でとりあえずばーっと動いてもらうのでもいいかもしれないが、フィードバックの仕組みが必要だ、これはやりすぎ、これはやれたはず、そう伝えていくことで日々少しずつよくなるならそれもいい。ブリーフィングのやり方もそうだが業務のコンテキストの蓄積も、セッションの記憶をどう保持するのかも、考えたい。今週はダメ。少なくとも前半はやっちゃダメ。
カレーの喫食を経て開店し、今日はコンスタントにお客さんのある月曜日でうれしい。タイトな感じでしっかり働いて、佐々木さんが来ると一度出て、オペラシティの郵便局に行って支払いをし、それからエクセルシオールでしばらく仕事をして戻ると休憩に出てもらい、真面目に働き、いい感じの月曜日で、この時間までにこのくらいで、夜がこのくらいだったら、と考えながら働いて、戻ってくると交代して帰った。 電車は少し遅れているようで桜上水かどこかで乗客どうしのトラブルということでカリカリしている人がカリカリしている人と邂逅してしまったのだろう、その人たちにとっても他の乗客たちにとっても鉄道会社にとっても待たされている他の駅の人間にとっても不運で、なにひとつとしていいことが起こっていない。人間なんて電車に乗せないほうがいいのかもしれない。 今日の晩ご飯について考えていると、いいことを思いついた! と思って、成城石井で久しぶりに餃子を買うことにした。最近すっかりご無沙汰だった。買ったのはフライパンを新しくしたからだろう、前のやつはすっかりテフロンが剥がれて、なんでも焦げつくようになっていた。真新しい、焦げつかないフライパンを手にして、僕はまた餃子を焼きたくなったのだろう。それで餃子を買い、調布の成城石井で買い物をするときだけ僕の脳裏には「さっかだい」という言葉が浮かぶようになっていて、他では浮かばない。レジを通ったあとに適当なテーブルが置かれていて、その間に合わせた感じが異物感として入ってきて、それで浮かぶのだろう。ただ「さっかだい」がどういう字なのか確信は持てず、「サッカ台」だった気もするし、漢字だった気もする。「作荷台」とかはありえそうだ。それから地産市場みたいなところを覗くとウドがまだ売っていたのでウドを買って、リュックに指した。背中からにょきっとウドを出して歩く、まさにウドマンだ。ウドマンは「1本だけ飲みたい気がする」と呟いて、どうやらビールを飲みたいようだった。今は7時とか8時とかで、たしかにけっこうみちっと働いたし、ビールを流し込みたいという気持ちもよくわかるものだった。なのでコンビニに寄るとビールを買って、それで飲みながら歩いた。ビールはおいしい、とウドマンは言った。
帰宅し、遊ちゃんがお風呂に入っているタイミングだった、上がると入り、リヴァプールの悲惨な試合の続きを見て、ファン・ダイクひとりが、大声を張り上げたり、プレーでもぐいぐいボールをキャリーしてみせたり、どうにかチームに火をつけようとするのだが、あまり応じられる気配はなく、それは寂しいことだった。 夜も着実に働き、最近毎週、できるかぎりあらゆる側面の仕事を一歩ずつは前に進められるようにと意識していて、新規のお客さんを増やすこと、リピートのお客さんを増やすこと、Readsの売上を増やすこと、Reading Companyの新規を増やすこと、既存の会社たちといい関係を維持すること、その5つについて少なくともひとつは何かを前に進められるようにと意識していて、それがここのところけっこうちゃんとできている感じでクロちゃんのおかげだ。クロちゃんがいなかったら絶対にスルーしているだろう、というタスクが消化されるようになっている。クロちゃんに感謝。クロちゃんに帰依。
感謝の時間を終えると夕飯にすることにしてキッチンに行き、五徳の上にストウブがあったので、蓋を開けてみると大根と豚肉のおかずがあって、白いから、醤油ベースではなく塩味で、つまんで食べてみると驚くほどおいしくて、これは遊ちゃんの明日のお弁当だろうと思いながら、ひと口、ふた口とつまんで、一生懸命に自制してそこでおしまいにした。信じがたいおいしさだ。 それで、「考えすぎフラグメンツ」を聴きながら調理開始で、ウドを切るのに時間がかかった。酢水に晒し、きんぴらにして、ネギと豆腐としいたけで味噌汁をつくり、そして餃子を焼いて、久しぶりなので18個にした。「餃子計画 いちど食べたらやみつきになる餃子 36個入」だ。その半分ということだ。この餃子を買うようになって最初はこの18個ずつの焼き方だったが、いつからか9個ずつの焼き方になって、それは18個ずつで焼くと2度だが9個でずつ焼くと4度焼けるということがわかったからだったし、18個で餃子だけでお腹いっぱいになるよりも、9個にして、他のおかずもこしらえていろいろ食べるほうが食事としての満足度が高いと気づいたからでもあった。でも今日は再会を祝して18個にして、再会を祝してだし、テフロンを言祝いで、ということでもあった。 で、きれいに焼けて、さすが無傷のテフロンだ、しかし餃子は以前ほどのときめくおいしさは感じず、ウドのきんぴらも糸数さんや佐々木さんがつくったウドのおかずのほうがおいしかった。味噌汁はおいしかった。なんとなくあまりおもしろくない気分で食べて、食事を終えるとデプロイを今日済ませることにしたが、楽天のAPIが変わって、それに対して慎重に身構えていたところ実際に不具合というか、通っておらず、しばらく苦労した。accessKeyの記述が必要だった、RefererとOrigin両ヘッダーが必要だった、ということらしかった。その過程で、クロちゃんがDocker操作を誤ってローカルのデータベースをまるっと削除しちゃうということが起きて、こういうことが起きるんだなあ、と勉強になった。
暗闇の中でベッドにもぐると、最初は今までよりももっと寒くなったみたいで、まるでシュリーヴが消すまではたった一つの電球からほんのかすかな熱が発散されていたのに、それを消した今、鉄のように堅固な暗闇が鉄のように冷えきった寝具と一つになって、寝ようとして緊張のほぐれた、薄着になった体に浸み込んで来たみたいだった。すると暗闇が呼吸でも始めたように遠のいて行き、シュリーヴが開けておいた窓が外の雪のこの世のものとも思えないかすかな明かりを受けてぼーっと浮き出し、それにつれて、それまで暗闇の重さに抑えられていた血が沸き立ち、だんだん暖かく体内を駆けめぐり出した。
ウィリアム・フォークナー『アブサロム、アブサロム!(下)』(高橋正雄訳、講談社)p.226
ふたりはベッドに入ったらしく、僕と遊ちゃんもベッドに入っているから、ベッドに入っているのは4人で、4人はベッドに入って、遊ちゃんは眠り、僕は本を開いて、シュリーヴは「ミシシッピ大学か」と声を出して、クェンティンは急激に寒くなって、ぶるぶる、がくがく震えてあんまり震えが大きかったのでシュリーヴも心配して、でもクェンティンはその震えを楽しんでいるきらいすらあった。その次が大きく折られたページで、その折り方はずいぶんな折り方で、ただ折るだけでなく、四重くらいに畳んでいく折り方で、20年前とかに読んだときにそれだけ衝撃が大きかったということなのだろうか、いったい何がと思いながらめくると、シュリーヴが話しているところで、「それは一体なんなんだい? 君たちが空気のようにその中で生きたり呼吸したりしているそのなにかは? 五十年も前に起こって終わってしまった事件に対する、亡霊のような、どう抑えようもない怒りと誇りと栄光でいっぱいになっている真空のようなものは、なんなんだい? 父から子へ、父から子へとゆずられる、シャーマン将軍を決して許すなというその一種の限嗣相続権は、なんなんだい?」というところで、ちょっと、どこにそんなにどっきりしたのかわからなくて、戸惑うとともに、今の僕には響くものがないところに過去の自分が大きく打たれていた事実は、尊いものだった。